熊五郎先生
友人の日記を見て、小学校時代の恩師?を思い出しました。
顔がひげだらけ。
身体も小学生から見たらかなり大きく、付いたあだ名が
『熊先生』
私達は陰で『熊五郎』と呼んでいました。
先生は当時35歳くらいだったと思います。
子どもが大好きだったけど、自身は子どもにめぐまれず、その分生徒に
一生懸命向かってくれていた先生です。
春、普通の授業時間にも関わらず、近くの土手を皆で散歩。
桑の実なども採って食べたりして・・・。私の幼馴染はシャツの中に桑の実が入ってしまいしかも中でつぶれて、「どどめぶっちゅン」などとからかわれたりしました。
夏、あまりの暑さにだらけていると、
「おい、川に行くぞ」
と言って、学校の前を流れる川に連れて行って川遊び。
実家でお店をやっている生徒にお金を渡して生徒全員分のアイスを買ってくれたり。
冬には網をかってくれて、ストーブの上で給食のパンを焼いたり・・・
(いや~、覚えてるエピソードが食べ物の話ばかりだ・・・)
今思うと父兄には評判はあまりよくなかったような・・・。とにかく型破りでしたから。
『あの先生は赤だ』
と聞いたのを覚えています。そんな言葉がまだ生きている時代でした。
確かにかなり共産党と言うか社会党と言うか・・・そっちの考えが強かった先生ではありました。(その影響はかなり強く、私の自民党嫌いはそこに所以していると思われる)
3年位前に小学校の同窓会を開きました。
久しぶりに会う先生はびっくりするほどおじいちゃんになっていました。実はその幹事をやったのですが、参加できなかった友人がこんなエピソードを教えてくれました。
私は知りませんでしたが、彼女の家は当時とてもお金に困っていたようでした。普通は修学旅行は旅費を積み立てて行くのでしたが、かの女はその積み立てをしていなかったのです。クラスでただ1人参加できないかの女のために先生は
「お金は私が出しますから、参加させてやってください」
と彼女の母親に頼みに来てくれたのだそうです。そこで彼女の親も何とかお金を工面して旅行に参加できることになりました。
そんな話は全く知りませんでした。当時、私の幼馴染は何故か凄く先生を嫌っていて、私は嫌いでは無かったのに一緒になって嫌いな振りをしていました。(小学生の頃ってほんと、お馬鹿ですよね)
最近の先生はサラリーマン先生が多いような気が・・。
おかしな問題を起こす先生も多いですね。
短い生徒と言う時間の中で、熊五郎せんせいのような先生に出会えたことは私の中では宝物のような気がします。
もう定年も過ぎ、田舎でのんびりやってはいるようですが、又いつか会えるでしょうか。いつまでも元気でいて欲しいと思っています。
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コメント
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こんちは~
先生との出会いって色々ありますよね!
おかにょさんはいい先生に巡り会えたようでよかったですね!・・・私は記憶を辿っても・・・私に直接的影響を与えたと思われる先生は・・・う~ん・・・多分・・・いない・・・かな?
投稿: さかた | 2007年10月 5日 (金) 08時34分
>さかた様
エピソードが食べ物の事ばかりではずかしいです~。後でもっと色々思い出したのですが・・・(食べ物じゃないエピソードね)
いい先生との出会い・・って中々ないですね。
もちろん、ある人にとっては素晴らしい先生でも、別の人には凄く嫌な先生ってこともあるし・・・。この先生に出会えてよかった・・・と、思えた私は幸せなのかも・・・。
投稿: おかにょ | 2007年10月 8日 (月) 22時05分