おかにょからのお知らせ

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2009年8月

ちゃみの『怖い話』(にゃに~い!?)

皆さんこんばんは!

ちゃみです。

だいぶ涼しくなりましたけどまだ日中は暑いですよね。

そこで
Photo

な話を・・・・。


今朝のことです。

お母さんの携帯が突然、異様な音を立てました。

携帯を見たお母さん、寝ていたみにょとちにょをたたき起こし、急になにやら動き出しました。

そして黒い何かを持ってきて、私に入れ!と言うのです。
勿論私は逃げましたとも!


でもしばらくしてから、なにやらそれが懐かしいような感じで気になっちゃって・・・入ちゃったんです。


そうしたらお母さんたち突然ファスナーを締めて私を閉じ込めました!


・・・・狭い!

逃げようとしましたが、狭くて方向転換も出来ません!




出してちょうだ~~い!



・・・・・・やっと出してもらえました。




お母さんあれに入るのはもう嫌です。
やめてくださいね。

「ちゃみがおデブになっちゃたからキャリーバックが小さくなっちゃったんでしょ!
大きな地震が来たら、入れて逃げられるかなぁ・・・。ちゃみ、食っちゃ寝やめなさいよね!」

えへへ・・・Photo_2
どーもすみません。

えっ!
怖い話はどこ行った?

したじゃないですか!

震怖~~~い!

マニュアル世代

まぁ、とにかくこの写真を見てくださいな。

Photo


何を感じました~?

これ、おかにょの通勤路の街路樹の根元なんですけど・・・。


草を取ってってあるのはいいけど、見事に枠の中だけ!

きっとここを担当した人の指導者はこう、言ったのでしょうね。


『街路樹の下の土のところの草をとってください』って・・・。

それにしてもね、ここをやるならほんのちょっと手を出すだけで、すっきり綺麗になるのにねぇ。みごとに土のところだけ・・・。

これが所謂『マニュアル世代』ってやつ?
それとも『お役所仕事』ってやつ?

せめてもの救いは木の根元に生えてた百合を残してあるってことかな?
でも、百合が分かるってことは若い人じゃないのかも・・・。
という事は余計な仕事はやりたくない、程ほどの年齢の人の仕事か?

などと、考えるのも結構おもしろですね~。

でも・・・

仕事やるならもっとしっかりやれい~!

若肉教職の世界

う~~~ん、なんじゃこのタイトルは・・・って思ったでしょう。

おかにょも思いました。ははは・・・。



本当は『弱肉強食』です。

なんだか今の世相を反映しているようで面白かったのでそのままにしてみました。


さて、何の話かと申しますと・・・


先日父の葬儀の時のことなのですが、父のお通夜を行う日の昼間。

家の外で

『シャーシャー』『『ギャーギャー』とすごい鳴き声が聞こえたのです。

あまりにすごいので車か何かのエンジン音かと思ったくらいです。


で、あまりにすごかったので兄が外へ見にでました。


『すごいカラスの群れだよ』


義姉たちと
『からすってやっぱりお葬式とか分かって集まってくるのかなぁ』
何て話をしながら外にでてみました。


こんなかんじです。
Photo

Photo_2

とにかくすごい数。

で、兄が
『オオタカがカラスを襲っている、こっちだ』

と言うので、おかにょも野次馬根性を出して行ってきました。



道の端っこの草むらで、黒っぽい鳥が何やらバサバサとしています。

カメラを持っていったので、近くで撮ろうと寄って行ったらオオタカが逃げてしまいました。

そのあとにはもう動かなくなくなったカラスが・・・。


「分かりやすいところに出したらまたオオタカが来るんじゃないか」

と兄がそのカラスを道の方に引っ張り出したら・・・




無残にも頭を・・・・・


『おかにょ写真!』

といわれても流石にそれは撮れません。(報道カメラマンには絶対になれないな)


弱肉強食の世界をまざまざと見せ付けられた瞬間でした。

で、空を飛びかっていたカラスの群れですが、どうやらオオタカに捕まってしまった(多分子どものカラス)を何とか助けようとして集団で周りを囲んでいたのではないかと、鳥好きの3番目の兄が申しておりました。

カラスでも仲間を助けようと言う、そういう仲間意識があるんだ・・と妙に感心してしまったおかにょでした。

龍雲ライブ『歌花火』’09in座・高円寺2

夏の定番ライブ『歌花火』に行ってまいりました。

毎回会場を変えるこのライブ、今回の会場はここ↓

Photo

龍雲さんのライブは地下2階。キャパは298(と書いてあった)。
会場は満席でした。
会場には今年もYさんの力作『歌花火タペストリー』と今年は凧が飾ってありましたよ。

Photo_3 Photo_5 (えへへ・・・今年も上手に撮れなかったのでちっちゃくしちゃったよん。)

さて、今回の龍雲さんの衣装は・・。
最初は白の上下かと思いきや、ピンク!
ウ~~~ンちょっとびっくり。でも結構似合っていました(髪もそんなにウザクなかったし・・・)

♪蘇る夏
♪この国の行方

ここで例によってグッズの紹介?
マグカップに口をつけ、昔の自分の写真を見て
『娘かと思った』


ウクレレもやってくれましたよ。
「カマカ』と言うメーカーのもので普通に買うと15万円位するものだそうです。
でも『ミュージシャン割引』と言うのがあって40%オフで変えたそうです。
自分と同じくらいの年の日本人の店員さんだったのにPCで試聴しても龍雲さんの事をまったく知らなかったようで
『同年台なら知っていると思ったのに・・』とぶつぶつ

♪夢うつつ
♪コンドルは飛んでいく

・・・英語は2級を持っているのでは発音がいいでしょう!と自慢?

『もう何年も歌ってなかったけど・・・』と
♪あの頃

古寺ななえさんと一緒に

♪夏服のフォトグラフ
・・・写真は殆ど見ないけど、1枚だけ記憶にしっかりと残っている・・・昔写真付き合っている人とハワイに行って彼女が着ていたのがグリーンのワンピースで・・・と。


最近亡くなった大原麗子さんは好きだった・・・マイケルジャクソンは可愛い弟だった・・・などと笑わせて・・

♪15のあいつ

ここでゲスト、ウェイウェイ・ウーさん登場。真っ赤なワンピース!ウ~~~ン派手~。

『3個でもニ胡』
『ウェイウェイさんは年上と年下どちらが好きですか』と聴きむりやり「上」と答えさせ
『ウェイウェイ』
・・・しょうもないです。



龍雲さんはウェイウェイさんに何か話すとその後に必ず古寺さんにも話を振って頑張っていました。で、本人曰く
『二兎を追うものは一兎も得ず』




二胡は座って演奏するものとばかり思っていたら立ったまま、腰の辺に支えるものがあるようでそれで演奏してました。


♪血の河
・・・すごく大陸的な感じで・・・よかったです~。
♪雨の慕情

ここで龍雲さんちょっと休憩?
ゲストのウェイウェイさんの演奏で
♪ボイジャーズ  イースト・ミーツ・ウエスト
(NHK,「ダーウィンが来た」のエンディングテーマ曲です。素敵でした。)
♪新天地

龍雲さん着替えて再び登場。

五木さんのコンサートにゲストで出てから着替えの喜びを知ってしまった・・・とか。

今年は辞めようと思ったけどスタッフからこれはやらないと・・・と言われたと言って

♪歌花火
・・・でもしっかり会場に振りと掛け声やらせてました。
こういうのはやった者勝ち。大きな声でやると楽しいものですよね~。

♪送り火

今年新盆を迎える方もいるでしょう・・・僕が死んだらこれを・・と言うようなことを言って
♪飛鳥


♪カトレア

・・・今沖縄に住んでいるけど、沖縄でスタンバイしているような感じ・・・だそうです。

8月5日に北條忠さん作詞で龍雲さん作曲の三沢あけみさんの新曲『海人恋唱』が発売になった(ちょびっと試聴してみる?


『印税といえばこの曲』
♪暖簾

東京ではでは9月には歌花火プラス、12月にヤクルトホールでコンサートがあるそうです。楽しみですね~。


・・・最近では子供とまじで喧嘩するようになってきたそうです。
一緒に買い物とかに行くと『パパの服だけ高いのはずるい!』とか言われるそうで・・・。


『55歳には武道館で!』
でみんなで恒例の『ガンバロー三唱』

♪道標ない旅


~~~あんこーる~~~

ウェイウェイさんも一緒に
♪ルリカケス

龍雲さん一人で
♪夢は眠っていないか

・・・娘にはじない生き方をして行きたい・・・皆さんも覚せい剤とかダメですよ・・・

♪祈りの歌







今回の会場。
大きすぎず小さすぎずでいい感じでした。
お客さんは夫婦連れが増えましたね~。
これからもっと増えるのじゃないでしょうか・・・
時たまかかる『龍雲~ン』の黄土色やおっさん声((失礼!)それもまたいいもんですね~あはは。

今回は声はすごく出てましたけど歌詞の忘れが・・・。
美女2人に囲まれてあがったのでしょうかねぇ(いやいや、いないときに間違えてましたねぇ)

ゲストの素敵な演奏も聞けて儲けたような・・・曲数が少なくて損な様な・・・
食いたりなかった皆さんは9月の朗峰会館 http://honmonji.jp/rouho/へ。

そして12月のヤクルトホール!
体とお金に気をつけて頑張りましょう!(何のこっちゃ)



位牌渡し

今朝になってから思い出しました。

昨日の記事で実は一番びっくりしたことが抜けていたことに・・・。
・・・年は取りたくないものですね~。



で、それは何か・・・と言いますとです。

通夜の前に喪主の兄に聞かれました。

「いはいはどうする?」

次兄が
「貰ってもおくとこないしなぁ」

おかにょの頭の中では『遺灰』と変換されていて
(焼いたあとの灰を渡すの?ええ~~~!)とびっくりしておりました。あほです・・・。

で、どういう事か・・・と言うと、こちらでは親が死んだ時は兄弟みんなが位牌を貰っていくそうなのです。

でも、確かに置く場所ないし・・・箪笥の上においたらちゃみが落として遊んでしまいそうだし・・・で、「いらない』という事になりました。

位牌は形だと思うから・・・父を忍ぶのならどんな形でも出来ると思ったからです・・・

が!

何と!

位牌を持っていかないという事は親不孝にあたるとしてとんでもない儀式をやるのが決まりだとか・・・

それは・・・

位牌を背中の襟から差し、油揚げを持って辻のところまで歩くというもの。


ひょえ~~~!

一種のさらし者ですね~。
そのくらい親不孝という事なのでしょうか?


でも実際に今でも行われていて、結婚して親の位牌を自分の婚家の仏壇に入れられないお嫁さん等が行っているそうなのです。(実は兄嫁もやったとか)
田舎の友人も『当然!』といった顔でした。

勿論、丁重にお断りしました・・・儀式のほうも。(誰かがこの親不孝者!と罵っているかも知れませんが・・・)
父には心の中で手を合わせることにしています。

父ちゃん怒んないでね~!

でもこんなことやってるとこ他にもあるのかな~?


所変われば葬式変わる2(父の場合2)

さて通夜の日です。

この辺りでは香典は『新生活』と言う方式だそうです。

負担が大変なので2~3000円と決まっているのだそうです。(勿論、親戚や特別親交が深かった場合は一般としてそれぞれ自由な額で持っていきます)
ですから、引き出物もその場返し。
記帳も無しです。(受付が纏めてノートに書いていました)

東京などでは、通夜の方が人数が多かったりしますがこちらでは告別式の方が多いようです。


東京で経験したお通夜では、焼香のあと一般の人にも『お清め』でお酒やお寿司とかが少し出て、焼香のすんだ人は少しつまんで帰っていましたが、こちらではそれはまったく無し。親族だけが『お清め』と称して軽い会食のようなものを摂ります。


お通夜そのものは取り立てて変わってはいませんでしたが唯一つ。
お坊さんの法話と言うのがあって驚きました。
故人の人となりや家族の話(ここで、兄4人まではきちんと紹介したのにおかにょと妹は丸無視!ぷんぷん!)法要の意味等を話してくれました。
(実はお通夜のお坊さんは代理。あまりのお経の下手さかげんに・・・睡魔と闘うおかにょでありました。)


翌日。

朝、6時半頃に親戚の方が・・・
(何でこんなに早く非常識な!)
と思いつつもお茶の用意をしていると
「あっ!ご飯はいいです」

!!!

あまりの非常識さに呆れていたら、実は朝2時から車でやってきたとのこと。
しかもその方、御年80歳。おまけに高速を軽で!
もうびっくり!


8時半ごろお坊さんが来てお経を上げてくれました。
そして先に火葬場へ。


・・・・何度経験してもあの瞬間が一番辛いですね・・・

父のお骨は真っ白でした。
唯一つだけ真っ黒のものが・・・

それは父の膝の人口骨。
兄が頼んで、お骨と一緒に入れていただきました。


さて告別式。

次々ときてくださる人・人・人・・・

米つきバッタのように頭を下げっぱなしのおかにょたち身内。

そこへ一人の方が・・・
「○○先生がいらっしゃいます」

その方は秘書で、大臣経験のある某議員さんが来るとのこと。
兄は会場の方にお願いして席を用意したようです(でも現れたのはほとんどの人が入った後・・・大物はあとから登場・・・ってか!)
流石に香典は本人の名前じゃなかったです。


前にも書きましたが一応弔辞とかがあります。
隣の家の叔父さんが読んでくれましたが、あまりのでたらめさに涙も吹っ飛ぶ!
しかもまた、兄弟紹介がありましたが今度は4番目の兄まで無視・・・おじさ~~~ん!
(でも叔父さん、一つとってもいいことをしてくれました。実は来てくださった方が予想をはるかに上回って、引き出物が間に合わなくなったのですが、叔父さんの長い弔辞でギリギリ間に合ったという・・・)


葬儀、告別式のあとはお寺へ。
そこで7日法要のお経を読んでもらい自宅へ。そして納骨。

ここでもまたびっくり。


五色の紙や灯篭、花かごや龍頭とか言う飾りやなにやら色々ありまして、順番に並んでお墓まで行くのです。出発前には弓まではなったりして・・・。

『花かご』って知ってますか?

竹で編んだ籠に色紙を切ってたのとお金を入れてお墓までの道を振りながら歩くのです。昔はこれを子供が後からついてきて拾ったそうですが、今では子供なんて一人も来ない・・・。身内は拾ってはいけない決まりだそうですが、そんなことは言ってはいられなく従兄妹たちが拾っていったみたいです

まぁ、古式豊かに・・・とでも言いましょうか。

おかにょもこんな葬式は初めてで、地元の人も最近では中々無かったようです(お墓がないとやらないみたいで・・・最近お葬式を出した人たちはみんなまだお墓がなかったようなのです。)

納骨のあとは、お手伝いをしてくださった方にお食事を出して(多分東京でやったときの残払いに当たると思うのですが)ひたすらお酒を注ぎまくり・・・でした。

そう言えば、葬儀社も東京とはかなり違ってますね。
集会所で使うガスバーナーや調理器具まで貸し出してくれたりします。
組内のお手伝いをしてくれた方のお礼も葬儀社から出たりするのですよ。(勿論喪主からも出しますが・・・)

・・・と、こんな感じですが、かなり疲れました。
はっきり言って悲しんでいる暇無いというか・・・。

父もきっとその辺でニヤニヤしながら私達のあたふたぶりを見ていたのでしょうね。


そういえばお通夜の前の晩、従兄妹が
『おじちゃんがその花の前でうれしそうに笑ってる』っと言っていました。
そういうイメージが湧いてきてしょうがないって・・・。

父も長い闘病生活から解放されて喜んでいるのだと・・・そう思いたいです。



田舎のお葬式は本当に大変。
色々組内の人に手伝ってもらいますが、夫婦で働いている人が殆どになってきているので昔のようにはいかないし、リーダーがいないとちっとも纏まらない。そろそろこういうお葬式も転換期を迎えてきているのではないかなと感じました。

唯、旅立つ人を優しい気持ちで送って上げられればそれが一番・・・ですよね。

所変われば葬式変わる2(父の場合1)

前に叔父のお葬式について少し書きましたが、前は唯の参加。

今回は当事者で前回以上にびっくりなことが多かったのでちょっと残しておこうかなぁ・・・と思って書いてみます。
(お暇な方はお付き合いください。)


まずは父が家に戻ってきた後から・・

おかにょの実家は群馬のかなり田舎です。
葬式も所謂『隣組』が中心になって行います。

おかにょの実家のまぁ、町内会に当たるのものの世帯数は役30.
そこが『上』『下』の二つに分かれていておかにょの家は『上』
今回は上の人たちが『組内』という事でお手伝いしてくれました。


父が家に戻ってくるとまもなく下組の方々が『仁義』(多分この字だと思う)にやってきました。
「仁義って何?」

タダのお焼香でした。
お手伝いしない組はここでまとめてお焼香に来るようです。

そのあと組内の人たちが来てお焼香。
そのあと次の日からの段取りを決める為に打ち合わせ。
詳しくは翌日・・・って感じで解散。


父が帰ってきた日、前日までの雨が嘘のように上がって、父が眠る部屋には夕日が差し込んでいました。蜩がカナカナ・・・と鳴き静かに上るお線香の煙・・・。
雰囲気はたっぷり・・・の中でお座りで挨拶していたおかにょは、鳴りそうなお腹と足の痺れに耐えていました(何て奴だ!)



さて次の日。(お通夜は友引が入ってしまったので更に次の日でした)

朝8時ごろから組内の人たちが集まってきて、役割分担。
ここで重要なのが『つげ』(多分、告げ)

初めて聴きました。
なんじゃそれ?の世界です。

近くに住む身内や、親交のあった人、病院にお見舞いに来てくれた人たちに、通夜や告別式の予定を知らせる印刷物を二人一組で配って歩く重要な?役目です。
ここでうっかり・・・をされると大変なことになります(・・・が、やられてしまいました)

女子陣は、近くの集会所で、つげに言ってくれた人や私達家族の昼食や夕食を作ってくれます。

喪主はまとめてお金を組内のまとめ役に渡しておきます。

で、つげが帰ってくると夜は『つげの清め』

で、とりあえずこの日は終了です。

(2に続く)

最後の思いやり

8月3日の午後、父が他界しました。

前日の午後急変し、家族が駆けつけましたが落ち着いたのでいったん帰宅、私と妹と兄が付き添いましたが、時々苦しそうにはするものの大きな変化はなく、朝に兄夫婦に変わってもらい帰宅、母にもゆっくり病院に行けばいいと言いました。

でも母は早く行きたいらしく予定より早めに病院へ。

その後も大きな変化はなかったので、兄が母と姉に休憩室に行くように勧め母たちは休憩していたそうです。

でも5分もたたないうちに急変、父の呼吸は止まってしまい、母は父の最後に居合わせられませんでした。

ほんの少し、まるで母がその場を離れるのを待っていたように父は逝ってしまいました。


それは自分が息を止めるその瞬間を母に見せたくなかったように感じられました。

わがままでいばりん坊でへそ曲がりな父でした。
素直じゃなかったので、きっと今まで母に感謝はしていても
「ありがとう」
の一言も言っていなかったのではないかと思います。
最後のほうではもうほとんどしゃべることもできなかったので、なおさら言えなかったのではないでしょうか。

自分が死んでいくその一番つらい瞬間を母にみせなかった…それは父の最後の思いやりだったのではないでしょうか・・・。

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